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今日みんなの学校の先生とお話ししていて、「学力のことで普通の学校に入れないことの不安はないか?」というような質問があって、「全くない」と答えたのだけど、そのことについて帰る道すがら考えてた。
私にとっては自明なことなので、言語化できていなかったことを。 いわゆる「学校の勉強」で、生きていくのに「絶対必要」なものって、小学校3〜4年生?せいぜい小学校くらいのレベルのものではないだろうか? ちょっとオーバーな言い方かもしれないけど。 「読み書きそろばん」は絶対必要だと思う。それを子どもの頃に教わらないで大人になるのは人生の損失だと思う。大人になってから習得するのはとても大変だから。 かけ算割り算、小数点や分数、集合とか、分度器の使い方とか、そのあたりまでは押さえておかないと、日常生活を送る上でも不便だろうと思う。 でも、今の環境にあれば、そのくらいのことは、一生懸命教えなくたって身に付くんじゃない?と私は思ってしまう。 生活体験がしっかりあって、知的好奇心さえ健全に育っていれば。 本来、「知る」ということは楽しいことだ。 それを体験していれば、必要な時に必要な知識を身につけていけると思うのだ、大人が教えよう教えようとしなくても。 むしろ、今分数もできない大学生がいるとかいう事態に陥ってるのは、その知的好奇心を大人によって阻害されているケースなのでは? フォアグラの鴨のように、食べたくもないのに無理矢理口に食べ物を流し込まれる、「栄養だから!」と。それで食傷しちゃってるか、もしくは家庭内が安定していないことで勉強する方に意識が集中できない、など。 その「基礎」学力以上のことは、本人が学びたいと思わなければ学んでも身に付かないし(大人になって数学の解き方なんてケロッと忘れてる、あんなに勉強したのに、という人の方が多いのでは?それで社会生活が困るかと言えば、そんなこともなく。もちろん、勉強する意味がないということではないが)、学ぼうと思えばいつだって学べるものだ。 子どもの時に要する労力とは比べ物にならないけど。 それよりも、「どう教えるか」よりも、大切なのは、どう「出会う」か、なのではないだろうか。 「言葉」にどう出会うか、「数」にどう出会うか。 「音」にどう出会うか、「表現する」ことの楽しさ、高まり、にどう出会うか。 子どもは出会ったものを、真綿のように吸収する。 最初の出会いが決定的になることも多いと思う。 それを大好きになったり、嫌いになったり。 なるべくならば、良質なものに出会わせてあげたいと思う。 本質に触れさせてあげたい、と思う。 そこにこそ、大人は神経を使い、東奔西走するべきなんじゃないだろうか? どうやったら足し算や引き算が早くできるようになるか、などではなく。 その意味で、シュタイナーの学校で行われている授業は本当にステキだと思う。 いや、シュタイナーの授業を見たから、そういう風に今感じるのだと思う。 学校だけが出会いの場ではない。 でも、子どもにとって学校で過ごす時間の大きさは、例えば大人にとっての職場の比ではないと思う。 教育観は色々あっていいし、いろんなやり方があっていいし、あった方がいいと思う。 風通しがよい組織であることが大切かな。 いろんな教育のあり方を選べる国になって欲しい。
by kourin-mama
| 2013-11-11 22:57
| 子どもとの日々
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