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感情のままに生きることは、人間的に高級なことではなく、「考えて」生きることが動物ではない人間としてよりよい生き方であるという考え方が一般的であると思う。
考えることはとても大切だ。 何も考えなくていいわけじゃない。 でも、「考える」以上に「感じる」ことが、今大切なことのように思う。 「感じる」というのは、心地いいか、心地よくないか。 基本的にはそのどちらか、がベースになっている。 心地よさに従って生きていくことが良く生きる道だ、なんて言ったら「まさか」と言われそうだが、私はそう信じはじめている。 例えば、「やりたくないことだけどやらなければならないこと」がある。 日常はそんなことだらけだ。 それをやらないでいれば、ラクだが、「心地いいか」、と言えば、そうでもない。 「やらなきゃ・・・」と何度も心の中で繰り返し、その度に「いやだなー」と憂鬱になり、できない自分にイライラしたり、何かのせいでできないと人やものに八つ当たりしてみたり、やらないでいることで生じるマイナスはかなり大きく、実はエネルギーを使ってしまう。 やらなければいけないことをやり終えたら、「やらなければいけなかったんだから当然だ」と考えずに、「ああ私ってえらい!」と自分をほめたたえ、その気持ちよさをきちんと味わってあげる。「自分を大切にする」って、何よりそういうことだと思う。 そうすると、「やらなければならない」と理屈で自分を説得するより、「やってしまったほうが気持ちがいい」と「わかっている」から、「やっちゃおう」って思えるのだ。 時間がなくてできなかったり、体調が悪かったりして先延ばしにせざるをえなくても、「自分はできる」と、自分に対する信頼感を持てていれば、「できない自分はダメな人間なんだ」と思わないでいられるのではないかと思う。 そして、その「心地いい」ということを「知る」ためには、「心地よくない」を十分体験する必要がある。 気持ちよくない、つらい、大変、度が高ければ高いほど、それが解消された時に感じる「気持ちいい!」指数が高くなるのだから。 気持ちいい、良くない、って相対的なもので、すごく個人差も大きい。 決して教えられてわかることではなく、経験しなければどうしようもない。 今の生活は、気持ちのよくないことはしないでもいられることが以前に比べて格段に増えたから、逆に「気持ちいい」をきちんと感じていないということが増えているのではないかと思う。 「自分が何がしたいのかわからない」というのも、「何をすると楽しいのか」つまり「何をしてる時に心地よさを感じるのか」を知らないからではないだろうか。 「感じる」とは、ただ感覚のままに任せるということではなく、自分の感覚に耳を澄ませながらそれを意識化する、つまり言語化する作業が必要だ。 目や耳や手足の抹消器官から入ってきた情報を、脳できちんとキャッチしてよく味わう。今自分は何を感じているのか。これは「熱い」のか「冷たい」のか、「甘い」のか「酸っぱい」のか。語彙がないと認識につながらない。そしてそれは次の行動にフィードバックさせるためのファクターになる。 「感じる」抹消の感覚器官と「考える」脳、両者をつなぐ回路の強化というほうが当たっているかもしれない。 意外と人は、自分がどう感じているかとか、立ち止まってみずに、反射的に、今までしてきたパターンに従って行動してしまうことって多い。本当はそうしたいと思っているわけでもなかったりするのに。 そのパターンを意識して変えようと思っても、うまくいかないことが多い。 理屈で自分を説得しても、努力しているうちはその力で押さえていられるものでも、努力はいつまでも続くものではないから、押さえる力が弱まるともとに戻ってしまう。木の枝を手でたわませるときのように。 それより、繰り返しになってしまうけど、「こっちのほうが気持ちがいい」と体で理解させてあげるほうがずっと確実で力がいらない。植物なら光を当ててあげるようなものか。 光を感じるように、日々「心地よさ」を感じながら、上に向かってのびやかに生きていくことができたら、幸せだと思う。
by kourin-mama
| 2008-08-10 03:42
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