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一人がバッグを縫い、一人が絵柄をデザインし、一人が刺繍をしてくれたのだそう。 4人全員に。 どんだけ時間かかっただろう!
賢治の「よだかの星」を読んで描いた絵 昨日は三男の卒業式。 コロナでどこも集まりができなくなってるが、この日のためにと、子どもたちが一生懸命用意しているものがあるから、まるきりできないのは忍びないと、時間は短めに、関係者のみで、と言ってもそもそもごく小さながっこうだけど…行った。 うちは中等部もみんなの学校に通うから、お別れはないけど、小学校終了の節目ということで。 いやいや、大きくなったものだ。 卒業証書は、恒例の、紙漉きの先生に指導に来てもらって、自分で証書用の紙を漉き、池田先生が子どもたちそれぞれのために用意した言葉を、書家の先生に書いてもらうという、驚くべき贅沢さ。 (うちの子は入学したとき以来使ってるマークがカブトムシなので、カブトムシの文字が入ってる) 先生が子どもたち一人一人にプレゼント(それも毎年)してくれる曲をつないだ劇。 詩の朗読とチェロの演奏を織り交ぜた朗読劇。 卒業生の発表、在校生からのプレゼントの数々。 どれも本当にすごかった。 中学生くらいの子が自分で作曲、作詞し、それを人前で演奏できるって、すごすぎないか?! 私なら絶対無理だった。 ここの子たちは、自分が感じることをまっすぐに感じ、それを臆することなく表現できている。 それも、みんながみんな。しかも、いろいろな方法で。 小さな学校で、友達は少ないし、校庭や体育館もないし、できないことも確かにあるけど、ここに通うことができて本当によかったと、心から思う。 善意で(謝礼もままならないのに、、)支えてくださってるたくさんの方々にも、心から感謝。 私は昨日はお昼を提供させてもらって、朝からバッタバタだったけど、とても芸術的で、でも温かくて親しみやすい、良きものを、堪能させてもらった1日となった。 今の時代、この国で、子どもを産んで育てるのは生半可なことではない。 でも、やっぱり、子どもの存在がもたらしてくれるものほど、人生を豊かにしてくれるものはないと、私は思う。 子育て期も、後もう秒読みで終わる… このところ、仕事にかまけてばかりだったけど、この時間も大事にしていきたい。 #
by kourin-mama
| 2020-03-16 13:02
| 子どもとの日々
コロナでどこも集まりができなくなってるが、この日のためにと、子どもたちが一生懸命用意しているものがあるから、まるきりできないのは忍びないと、時間は短めに、関係者のみで、と言ってもそもそもごく小さながっこうだけど…行った。 うちは中等部もみんなの学校に通うから、お別れはないけど、小学校終了の節目ということで。 いやいや、大きくなったものだ。 卒業証書は、恒例の、紙漉きの先生に指導に来てもらって、自分で証書用の紙を漉き、池田先生が子どもたちそれぞれのために用意した言葉を、書家の先生に書いてもらうという、驚くべき贅沢さ。 (入学したとき以来使ってるマークがカブトムシなので、カブトムシの文字が入ってる) 先生が子どもたち一人一人にプレゼント(それも毎年)してくれる曲をつないだ劇。 賢治の詩の朗読とチェロの演奏を織り交ぜた朗読劇。 卒業生の発表、在校生からのプレゼントの数々。 どれも本当にすごかった。 中学生くらいの子が自分で作曲、作詞し、それを人前で演奏できるって、すごすぎないか?! 私なら絶対無理だった。 ここの子たちは、自分が感じることをまっすぐに感じ、それを臆することなく表現できている。 それも、みんながみんな。しかも、いろいろな方法で。 小さな学校で、友達は少ないし、校庭や体育館もないし、できないことも確かにあるけど、ここに通うことができて本当によかったと、心から思う。 善意で(謝礼もままならないのに、、)支えてくださってるたくさんの方々にも、心から感謝。 私は昨日はお昼を提供させてもらって、朝からバッタバタだったけど、とても芸術的で、でも温かくて親しみやすい、良きものを、堪能させてもらった1日となった。 #
by kourin-mama
| 2020-03-16 13:02
| 子どもとの日々
9回目の311が過ぎた。
去年の台風の被害の後から、あの日を、あの日々を、思い出すことが増えた。 TVやPCのモニターを見ながら震えていることしかできなかったこと、放射能が大地に振りかかったことは、それまでコツコツと少しづつ積み上げてきた、ささやかながら大事なものすべてに「泥水をあびせられた」と感じたこと。なんとなく、被る部分が多くて。 今年の冬の異様な暖かさにも、春が来る嬉しさより不安が勝り、春が来てもちっとも喜べない、桜が咲いても悲しみしか感じず、世界が灰色に見えていた、あの時を思い出してしまう。 でも実のところ、ほんとはいつも思い出しているのかもしれない。 私の中で結局は終わっていないのだ。 あの日が、今の生活の起点であることは、少なくとも間違いない。 こちらに来てから、家も仕事も定まらず辛かった時、「私の持てる力が社会の中であますことなく役立てられるような仕事を与えて下さい」と祈っていた。 今そういう仕事ができているだろうか。 パートの仕事をしていた時よりは、不全感はなく、全力で取り組むことができている。 ありがたいことだ。 コロナ騒ぎで経済的には厳しいけど。。 私にとって事業は手段であって、目的は生活そのもの、生きることそのものを構築することなのだと思う。 だからってビジネスを軽んじているわけではないが。 そこにはまだまだ到達できていない。。 なにがしか、基礎が築けたと感じた時、「旅」は終わるのだろうか… まだ旅の途上にある。 毎日が冒険なのは悪いことでもないけど。 そして、今世界中で頻発、かつ過酷化している自然現象を想う。 私にできることは何か。考え、実行できる力を与えて下さいと、今は祈る。 #
by kourin-mama
| 2020-03-12 23:53
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