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夕方、家族皆で(夫も無理矢理)散歩に行く。
本当は畑仕事をしに行きたかったのだけど、時間がなく。 少し歩くと川があるので、散歩するにはいい環境だ。 急な崖の上にある小さな神社に登って、川を見下ろす。冬は富士山が見える場所。 こんなに近くにこんなにすてきな場所があるのに、この辺りに住むどのくらいの子どもが、知っているだろう。自然と関わっているだろう。 川はもちろん子どもだけで行かせてもらえない。確かに危ないし。 秘密基地を作ったりしてる子も少しはいるみたいだが、地主さんに見つかったら怒られるのだろうな。 子どもは散歩なんてしないし。 学齢期にもなれば、親が誘っても行きたがらなくなる。それでもなだめたり脅したりして、連れ出す親なんて、どれくらいいるだろうか。 かくして「自然と触れ合う」というお題目で、レジャーに行かなければ得られない、非日常のものとなるわけだ。 自然はそこにあっても、関わる方法を知らないと、ただの風景として通り過ぎてしまう。 自然の方からは働きかけてくれないから、よく見たり、触ったり、味わったり、怖い思いをしたりすることで、奥深さや神秘に触れることができるのだと思う。 さらに、以前はそういう遊び方が年長の子どもから年少の子どもへと、子ども同士の中で伝えられていったものだが、その文化もなくなってしまった。 この川もほんの40年ほど前までは、子どもが橋の上から飛び込んだり、フナを釣ったりする風景が見られたそうなのだが・・・。 そんな時代に戻ることなんて望まないから、せめてもう少し、ザリガニ釣りに来たり、稲作体験を広い田圃(学校の花壇の中に作った、4〜5坪のじゃなくて!)でやらせてもらったり、せっかく「蛍の里」が近くにあるのだから蛍を見に来たり、そういうことを学校でもやれたらいいのになぁ。 田んぼにはかえるもいるし、とてもきれいな白鷺もいるし、セリが生えていたり、草笛ができたり、秋にはトンボやバッタもいる。 先生だけでは大変なら、保護者をボランティアで頼めばいい。 稲作体験も、ただ育って穂が実るのを見るだけでなく、そういう環境や文化まで含めて触れることに大きな意味があるのではないだろうか。命のトータリティーという観点からも。 子どもの時にはわからなくても、「この道、よく散歩したよな」とか、その時の空の色や、空気のにおいなんかは、体の中にしみ込んでいるものだと思う。 それが子どもたちにとって財産になると信じて、いやがられても散歩に連れ出そう。
by kourin-mama
| 2005-04-03 21:27
| 子どもとの日々
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