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本吉圓子(もとよしまとこ) 『失敗させる!6歳までの子育て』
「そんなの簡単だよ」という子どもがわるいか、というと、そうではなくて、それだけ頭の回転も早いし、自尊心の高い子どもだと思います。でも、幼児からこうなってしまうと困るのです。 そこで、だいち君に言いました。 「だいち君。神経衰弱っていうのは、お友達が開けたとき、『あ、ここに5がある。あ、ここに8がある』ということを覚えていて、今度、ぼくが5を開けたとき、『あ、このへんだったな』と見当をつけて、5を開けてとれた、そういう喜びのあるゲームなんだけど、おばちゃんが見ていたら、だいち君は人がやっているところを、全然見ていなかった。これでは永久に出来ないよ。 おばちゃんは、あなたが一生懸命見ていてもできないのだったら、仕方がないと思う。でも『そんなの簡単だよ』と言って、見てもいなくて、みんなが終わると『1枚も取れないんだもん。もう一回やろう、もう一回やろう』というのは、まわりの友達に迷惑だ。 でもね、私は先生だから、あなたみたいな子どもを見ると、黙って見捨てるわけにはいかない。さあ、おばちゃんとやろう」 そのとき私が使ったトランプは、たった4枚です。2組ですね。そうして、4枚を伏せた。 こういう時は、じゃんけんしないで、おばちゃんが先、と言って、私はわざと1のエースと5をとりました。 「おばちゃん、1と5をとった。はい、違っていたから伏せました。今度はぼくの番。だいち君、取ってごらん。」 「あ、これ5だ。どっちだったかな」 「そう、そう、そう、開けてごらん。取れたね。また、おばちゃんが開かなかったところ、とってごらん。そう、1だ。4枚全部取れたじゃない。ね、もう1回やろう」 こうして4枚から6枚にする。 「取れた。6枚でも、8枚でも。ぼく、6枚で、おばちゃん2枚しか取れない。すごいね」 こうして、取れればおもしろくなるから、乗り出してきました。 その間に、何回も園長先生がいらっしゃいました。 「先生、もう、講演の時間ですから。10時になりますから来て下さい」 「すみません、ちょっと10分遅らせて下さい」 それから、さっきやっていたメンバーを呼んできて、また6人になって、神経衰弱をやりました。そうしたら、今度は、だいち君がいっぱい取れるのです。みんながびっくりしている。 「だいち君、すごい。おばちゃん教えてあげたの?」 「だって、これは教えてあげたって、自分でやらなければ出来ないよね。だいち君は自分でやる気になって、やろうと思ってやりだしたの」 そうしたら、みんなが、 「だいち君、おりこうだね。がんばったね」 「そうがんばった。えらいと思うよ。ほら、だいち君、一生懸命やれば、みんながいい子だって言ってくれるでしょ」 そこには、「きたねーよ、ズルいよ」と言っていただいち君は、もういませんでした。 ここで、やらせないのが愛情なのか、しつこく、しつこくやらせるのが愛情なのか。これは、私は「しつこく、しつこく」の方に軍配を上げたいのです。 ここで逃げる保育者が、すごく多いのです。やらなければ楽でいいのです。 でも、私はやります。 プライドばかりが高くても、努力しなければ出来ません。そして、そういう努力を、恥ずかしくなくできるのが幼児期なのです。 親の期待がすごく高かったりすると、子どもは先を読んで、もし、失敗したら、もし、一等になれなかったら、という思いを持っているのです。そういうものを大人が砕いてあげなければいけない。 私は、幼児期というのは、どんなにみっともない思いをしても、恥ずかしい思いをしてもいいから、とにかく、出来たという達成感が得られるようになるまで、見守るべきだと思います。最後までその子に責任を持てるかどうかですね。 つまり、大人が、命がけでその子のためにやっているかどうか、あるいは、他の大人や子どもが色々要求を出してきても、「今、私は、けんちゃんと遊びたいの」とか、「今は、あやこちゃんのお話を聞いてあげたいの」とか、「ご飯ですよ、って呼びにきても気にしなくていいのよ。あなたの言うことを、おしまいまでちゃんと聞いてあげる」と言って、しっかりとその子に向き合っているかどうか。子どもは、そこをみているのです。 そして、そこで子どもが変わるのです。 抱きしめることです。かわいがることです。それから、自由を与えて、子どもたちが自分で『なるほど』と納得できるような生活をさせることです。 ただし、甘えることと、甘やかしは違います。 それから、 子どもの奴隷になってはいけないのです。言うなりになってはいけない。 大人が子どもに、口でいくら「意欲を出せ」と言っても、子どもは意欲を出しません。 ところが、大人が子どもに寄り添って、その子に共感していると、そんな中から子どもの意欲が出てくるのですね。 (でも、どの子も本当はやってみたい) 先生が隣りで、1時間、2時間、彼に寄り添って、「やりたくない時はやらなくていいんだよ。そういう時もあっていい」と共感した。それがうれしくて、「怖いからいやだ」と言っていた子どもが、やる気を起こしたのです。 これを、「あんた、どうしてやらないの?みんなできるんだから、やってごらん」とか「お母さんも練習したら出来るようになったから、やれ」というのは最悪です。これはプレッシャーなのです。 「ノー」と言える子に育てる。 トラブルが起こったり、けんかが起こるというのは、最高に人を育てるのです。でも、裁き方というか、対応の仕方が難しいのです。 幼児期からいじめがある クラスのおかしな人間関係を正常に戻す 強いものがいばっていて、弱いものがいつもいつも端っこで萎縮している。これを見落としますと、1年中ずっと見落としていくことになります。大変おそろしいことです。 大人が本気で守れば、子どもは強くなる 一人の子どもを守ることが、本当に正しいと思えば、他の子ども達も、みんな納得します。 学級崩壊とスキンシップに関係がある 昔に比べて、今はスキンシップが足りない。 自由保育というのは、すごいエネルギーを必要とします。子どもをしっかり見ていなければならないし、自由保育だからこそ、やる気のない子どもや、難しいことをやりたくない子どもに、5時間も6時間もかけて、出来るまでつきあうことが出来るのです。 その子一人にかかり切っているのですが、そのことを通して、周りの子どもも育てることが出来るのです。 自由保育というのは、子ども一人ずつの欲求に全部応えながらも、結果としてみた時に、クラス全体を育てている。 これがなければ自由保育とは言えないのです。 子どもを見守りながら、一人ずつ、要求しているものの質、量を見ながら、こちらの頭を回転させてやっていくのが自由保育です。 目的を達成するまでには、子どもたちにあらゆる豊かな体験をさせていく。そしてその体験の中で、自主性、集中力、意欲、思いやりといった「生きる力」の土台になるものを育てるのです。 それをやるだけの能力が保育者になければ、自由保育はやれないのです。 ******* 以上、引用 この人はすごい保育者だと思う。 この人の言う自由保育の考え方に非常に共感するが、他の人もこの人のようにできるか、というと難しいと思う。 でも、プレーパークで目指すところは、まさしくこういう考え方だと思う。 難しくなってしまうのは、「保育」という、とても人為的な場のあり方に問題があるのだろうか?
by kourin-mama
| 2007-04-13 23:14
| 読書ノート
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